戦艦武蔵は、日本海軍が建造した大和型戦艦の二番艦です。
大和と並び、世界最大級の戦艦として知られ、46センチ主砲を9門も備えていました。
大和型の46センチ砲は、3連装砲塔3基、合計9門で構成され、最大射程は約42kmに達しました。
砲弾の重量も約1.46トンに及び、まさに「大艦巨砲主義」の頂点に立つ兵器でした。(大和ミュージアム)
しかし、武蔵の最期を考えるとき、皮肉な事実があります。
これほど巨大な主砲を持ちながら、武蔵は敵戦艦と砲撃戦を行うことなく沈没したのです。
戦艦武蔵とは|大和型戦艦の二番艦として生まれた巨艦

武蔵は、戦艦大和に続く大和型戦艦の二番艦として建造されました。
大和型戦艦は、アメリカ海軍との艦隊決戦を想定して設計された、日本海軍の切り札でした。
その基本思想は明快です。敵よりも遠くから、敵よりも強い砲弾を撃ち込み、戦艦同士の決戦で勝利すること。
つまり武蔵は、航空機と戦うためではなく、敵戦艦を撃ち破るために生まれた艦でした。
ところが、武蔵が実戦に投入された1944年には、海戦の主役はすでに戦艦から航空機へ移っていました。
真珠湾攻撃、マレー沖海戦、ミッドウェー海戦を経て、巨大戦艦であっても航空機の集中攻撃には無力ではいられない時代になっていたのです。
46センチ主砲9門|世界最大級の火力を持った戦艦
武蔵の象徴は、何といっても46センチ主砲です。大和型の主砲は、45口径46センチ砲を3連装砲塔3基に収めたもので、合計9門。
艦載砲としては世界最大級であり、戦艦同士の砲撃戦を想定した圧倒的な火力でした。(大和ミュージアム)
この砲は、遠距離の敵戦艦に対して徹甲弾を撃ち込み、厚い装甲を貫くための兵器です。
もし武蔵が敵戦艦と向かい合っていれば、その主砲は大きな意味を持ったでしょう。
しかし、シブヤン海で武蔵に襲いかかったのは、敵戦艦ではありませんでした。
武蔵はなぜ敵戦艦と撃ち合えなかったのか
1944年10月、アメリカ軍はフィリピンのレイテ島へ上陸しました。
これに対し、日本海軍はレイテ湾へ突入して上陸部隊を攻撃する作戦を立てます。
武蔵と大和を含む栗田艦隊は、ブルネイを出撃し、レイテ湾を目指しました。(乗りものニュース)
しかし、その途中で待ち受けていたのが、アメリカ海軍の空母機動部隊でした。
10月24日、武蔵はシブヤン海で米軍艦載機の激しい攻撃を受けます。
つまり、武蔵は敵戦艦と出会う前に、航空機によって足止めされ、戦闘力を奪われていったのです。
武蔵の46センチ主砲は、遠くの敵艦を撃つための兵器でした。
高速で接近し、急降下爆撃や雷撃を仕掛けてくる航空機に対しては、本来の力を発揮できませんでした。
シブヤン海海戦|武蔵を襲ったのは米軍艦載機だった

シブヤン海海戦で、武蔵への攻撃は何度も繰り返されました。
米軍機は爆弾、魚雷、ロケット弾、機銃掃射を組み合わせ、武蔵に集中攻撃を加えました。
乗りものニュースの解説でも、シブヤン海で武蔵は航空機による猛攻を受け、正午過ぎの時点ですでに魚雷や爆弾を計10発以上受けながら航行を続けていたとされています。(乗りものニュース)
ここで重要なのは、武蔵が「すぐに沈んだ」わけではないことです。
むしろ武蔵は、異常なほどの攻撃に耐え続けました。
艦首は沈み、速力は落ち、浸水と傾斜に苦しみながらも、なお海上に浮かび続けたのです。
主砲は空へ向けられた|対空戦に投入された46センチ砲
武蔵の46センチ主砲は、敵艦を撃つために設計されたものですが、シブヤン海では対空戦にも使われました。
対空用の三式弾を発射した記録があり、主砲を空へ向けて米軍機に対応しようとしたのです。(ウィキペディア)
ただし、これは本来の使い方ではありません。
巨大な主砲は旋回も装填も遅く、急速に接近・離脱する航空機を狙うには不向きでした。
さらに、主砲発射時の爆風は味方の甲板上の兵員にも危険を及ぼしました。
つまり、武蔵の主砲は「撃てなかった」のではなく、「撃つべき相手が現れなかった」と言うほうが正確です。
敵戦艦を撃つために生まれた砲は、敵戦艦と出会う前に、空からの攻撃にさらされたのです。
魚雷約19本・爆弾17発|沈みにくかった武蔵の防御力
武蔵が最終的に受けた被害については資料により表現に幅がありますが、アメリカ海軍のNaval History and Heritage Commandは、武蔵が約19本の魚雷と17発の爆弾を受けて沈没したと説明しています。(history.navy.mil)
この数字は、武蔵の防御力の高さを示すものでもあります。
通常の軍艦であれば、これほどの魚雷と爆弾を受ける前に沈んでも不思議ではありません。
武蔵はまさに、巨大戦艦としての耐久力を最後まで見せつけました。
しかし、どれほど厚い装甲を持っていても、繰り返される航空攻撃と浸水には抗しきれませんでした。
とくに魚雷による水中からの破壊は、装甲の厚い上部構造では防ぎきれない深刻な損傷をもたらしました。
午後7時半、武蔵沈没|沈黙した主砲の意味

1944年10月24日夜、武蔵はシブヤン海に沈みました。沈没時刻は資料によって「午後7時半すぎ」「19時35分ごろ」などとされます。
米海軍系資料では、最後の命中から約4時間後に沈没したと説明されています。(history.navy.mil)
武蔵の46センチ主砲は、敵戦艦との決戦で真価を発揮するはずでした。
ところが、その主砲は敵艦を撃つことなく、最後は沈黙しました。
この沈黙は、単なる一隻の戦艦の敗北ではありません。
戦艦同士が主砲を撃ち合う時代が終わり、空母と航空機が海戦の主役になったことを象徴する出来事でした。
まとめ|武蔵が象徴した戦艦時代の終わり
戦艦武蔵は、世界最大級の46センチ主砲を持つ巨艦でした。しかし、その最期は敵戦艦との砲撃戦ではなく、米軍艦載機による集中攻撃でした。
武蔵の悲劇は、「強大な兵器が、必ずしも時代に勝てるわけではない」ことを教えてくれます。46センチ主砲9門という圧倒的な火力も、空から襲いかかる航空機の前では、本来の役割を果たせませんでした。
武蔵は弱かったのではありません。むしろ、魚雷約19本、爆弾17発という凄まじい攻撃に耐え続けた点で、驚異的な防御力を持っていました。
それでも沈んだ。
そこに、戦艦武蔵の悲劇があります。武蔵の沈黙した主砲は、大艦巨砲主義の終わりを告げる、重く静かな象徴だったのです。
くまらぼ 
