大東亜戦争において、日本軍は終始「情報戦」で敗北し続けたと語られることが多い。
しかし、それは正確ではない。海軍が誇った暗号「D」(米軍呼称:JN-25)はたしかに解読され、ミッドウェー海戦の惨敗や山本五十六長官の撃墜という悲劇を招いた。
だが、陸軍が用いた暗号は最後まで米軍を苦しめ続け、完全解読には至らなかったとされている。
暗号とは何か、どのように破られ、どのように守られたのか。
知られざる情報戦の真実を、一次資料に基づきひもといていく。
「暗号書D」は1939年(昭和14年)に制式採用された日本海軍の主力通信暗号である。
正式名称は「海軍暗号書D」で、膨大な数の日本語フレーズに5桁の数字コードを割り当てた「コードブック方式」を採用していた。さらに送信時には、このコード数字に別の数字列(加数表)を加算する「スーパーインシファメント」と呼ばれる二重暗号化が施されており、当初は解読困難とされた。
この暗号の特徴は、コードの量が膨大であった点にある。
数万単位の語彙が収録されており、全容を把握するだけでも並大抵の作業ではなかった。
日本海軍はこの複雑さを過信し、「敵国がこの暗号を解読することは実質不可能」と判断していた節がある。
しかし暗号の強度は「コードの複雑さ」だけで決まるわけではない。運用上の問題が致命的な弱点となってしまった。
頻繁に使用されるフレーズは同じコード群が繰り返される。
また、定型文(気象報告・燃料残量など)が決まった時間帯に送信されることで、「文脈の推測」が可能になる。
暗号解読とは、多くの場合「数学的突破」よりも「統計的・文脈的推測」の積み重ねである。
海軍暗号Dの弱点は、まさにそこにあった。
米海軍情報部(ONI)は1940年頃から海軍暗号Dの解析に着手し、これを「JN-25」と命名した。解読作業の中核を担ったのは、ハワイの真珠湾に設置された暗号解読拠点「ステーション・ハイポ」である。
指揮官ジョセフ・ロシュフォート中佐のもと、統計学・言語学・数学の専門家が集められた。
解読は二段階で進められた。第一段階は加数表の復元。暗号化に使われた数字列のパターンを膨大な通信量から割り出すことである。
第二段階はコードブック自体の再構築。特定の5桁コードがどの日本語フレーズに対応するかを推測していく作業だ。
この地道な作業に約2年を要したが、1942年(昭和17年)春までにJN-25の約15〜30%が解読可能な状態となっていた。
完全解読にはほど遠かったが、「断片的に読める」状態でも実戦では十分すぎる情報が得られた。
なぜなら、日本海軍の作戦通信は定型化が進んでおり、一部が読めれば全体の文脈が推測できたからである。
解読を助けた「贈り物」
1942年3月、オーストラリア近海で日本の暗号書の残骸が米軍に回収されるという幸運があった。
完全なものではなかったが、コードブックの一部対照表を得たことで、解読速度は劇的に向上した。
情報戦において「幸運」は準備した者にのみ微笑む。
ステーション・ハイポの功績はまさにこれを体現するものだった。

1942年(昭和17年)5月、ステーション・ハイポは日本海軍の通信に頻出する「AF」という暗号略語が次の作戦目標を指すと判断した。
しかし「AF」がどこを指すのかが特定できなかった。
ロシュフォート中佐はミッドウェー島を候補として絞り込み、あえてミッドウェーに「淡水装置が故障した」という偽の平文電報を打たせるという罠を仕掛けた。
数日後、日本海軍の通信に「AFの淡水供給が不足している」という内容の暗号文が飛び交った。
「AF」がミッドウェーであることが確定した瞬間である。
この一手により、米太平洋艦隊は日本機動部隊の進路・到着予定日を事前に把握し、待ち伏せ態勢を整えることができた。
ミッドウェー海戦(1942年6月)での日本の敗北は、空母4隻・搭乗員多数を失う壊滅的なものとなった。
南雲忠一中将率いる機動部隊は、後手に回り続けた。
どれほど艦艇の性能が優れていても、作戦意図が筒抜けであれば奇襲は成立しない。
情報こそが最大の兵器であることを、この海戦は残酷な形で証明した。

1943年(昭和18年)4月18日、連合艦隊司令長官・山本五十六元帥は搭乗機ごとブーゲンビル島上空で撃墜され、戦死した。
この「海軍甲事件」もまた、暗号解読が直接の引き金となっている。
山本長官がソロモン諸島前線視察のため出発するという日程・経路・時刻を詳細に記した電文が、南東方面艦隊から各基地に送信された。
この電文がJN-25で暗号化されていたにもかかわらず、米軍に解読されてしまった。
米陸軍航空隊はP-38長距離戦闘機を展開し、長官機を待ち伏せした。
撃墜を命じたのはニミッツ提督の承認を経たものだったが、米側には一つのジレンマがあった。
あまりに正確な迎撃は「暗号が解読されている」と日本側に気づかせるリスクがある。
実際、日本側は「内部のスパイによる情報漏洩」も疑ったが、暗号の問題とは結論づけなかった。

海軍暗号が次々と突破される一方、日本陸軍の暗号は終戦まで米軍を大きく悩ませた。その理由はいくつかある。
陸軍と海軍の暗号体系は完全に別系統だった
陸軍は独自の暗号書と機械式暗号器を組み合わせて使用しており、海軍暗号の解読経験がそのまま流用できなかった。
「情報共有の縦割り」という問題は米軍にも存在しており、陸軍暗号の解析に割かれたリソースは必ずしも十分ではなかった。
換字頻度が高かった
海軍暗号Dが長期間同一のコードブックを使い続けたのに対し、陸軍は比較的頻繁にコードブックを更新していた。
解読作業の積み上げがリセットされるため、米側の解析チームは常に「最初からやり直し」に近い状況を強いられた。
通信量が少ない戦線では解析が困難
解読において「通信量の多さ」は逆説的に有利に働く。統計的パターンを見つけるには大量のサンプルが必要だからだ。
島嶼(とうしょ)防衛戦のように通信量が限られる局地では、陸軍暗号の解析は著しく困難だった。
陸軍暗号が完全に破られなかったことは、大戦後の米側公文書の公開でも裏付けられている。
これは日本陸軍の暗号担当者たちが、限られた資源の中で相応の工夫を重ねていた証左でもある。
大東亜戦争における日本の情報戦を振り返ると、三つの教訓が見えてくる。
第一に、暗号の強度は「仕組みの複雑さ」だけでなく「運用の規律」によって決まるという点である。
海軍暗号Dは設計上の欠陥より、定型通信・コードブックの長期使用という運用上の問題で破られた。
第二に、情報優位は戦局全体を左右するという点である。ミッドウェーも山本長官撃墜も、兵力差より情報差が決定的だった。
第三に、陸軍暗号が最後まで抵抗し続けたという事実は、あまり語られてこなかった「日本側の情報戦の善戦」を示している。
くまらぼ 
