大東亜戦争の開戦劈頭(かいせんへきとう)を飾った真珠湾攻撃。
その作戦を立案したのは、誰よりもアメリカの強さを知り、誰よりも開戦に反対した男・山本五十六でした。
「半年や一年は暴れて見せる。しかしその後は保証できない」
この有名な言葉が示すように、山本は日本の敗北を確信しながら、なぜ奇襲作戦を実行に移したのか。二度の渡米で目の当たりにしたアメリカの圧倒的国力、近衛文麿首相との対話、そして連合艦隊司令長官としての苦渋の決断。本記事では、「読みが深すぎる」と称される山本五十六の真意を、史料をもとに掘り下げます。
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「読みが深すぎる」山本五十六とは何者か
山本五十六(やまもと いそろく)は1884年(明治17年)、新潟県長岡に生まれました。旧姓は高野。56歳の父親から生まれたことにちなんで「五十六」と名付けられたという逸話は、いかにも明治らしい豪放な命名です。
海軍兵学校を卒業後、日露戦争の日本海海戦(1905年)に従軍。この戦闘で左手の指2本を失います。その後、ハーバード大学への留学(1919〜1921年)、駐米大使館付武官(1926〜1928年)という二度の渡米を経て、アメリカという国の実態を肌で知った数少ない海軍軍人となりました。
航空主兵論を早くから唱え、戦艦中心の旧来の海軍戦略に疑問を持ち続けたことでも知られます。「これからの海戦は艦載機が決する」という先見は、後の大東亜戦争の展開がそのまま証明することになりました。1939年(昭和14年)に連合艦隊司令長官に就任。開戦時には海軍大将として日本海軍の全権を握ることになります。
二度の渡米で知ったアメリカの圧倒的国力
山本がアメリカと戦うことに反対し続けた最大の根拠は、現地で直接見聞きした「国力の差」にありました。
ハーバード留学時代、山本は英語を猛勉強しながら、テキサスをはじめとするアメリカ各地を旅して回りました。目に飛び込んできたのは、地平線まで続く油田と、巨大な製鉄所群。日本では想像もつかない規模の工業生産力でした。
駐米武官時代には、デトロイトの自動車工場を視察しています。フォードの流れ作業ラインが一日に何千台もの車両を生産する光景は、山本に強烈な印象を与えました。当時の日米の工業生産力の差は、研究者によって諸説ありますが、国家総力戦における総合的な国力差は数倍から十数倍、特定の資源や生産能力では大きな格差があったとされています。山本はこの差を、現場の目で確かめていたのです。
なぜそれでも軍人として踏み留まったのか
帰国後の山本は、「アメリカと戦うべきではない」と公言して憚りませんでした。1940年(昭和15年)には、日独伊三国同盟締結に反対したことで右翼・軍国主義者から命を狙われ、海軍省から連合艦隊司令長官へ「左遷的な形で転出させられた」という見方もあります。しかし山本は職を投げ出しませんでした。反対意見を言い続けながらも、命令が下れば最善を尽くす—それが軍人としての山本の矜持(きょうじ)でした。
近衛文麿への「半年や一年は暴れて見せる」発言の真意
1940年秋、近衛文麿首相から「対米戦争となった場合、勝算はあるか」と問われた山本は、こう答えたとされています。
「やれと言われれば最初の半年か一年は随分暴れてご覧に入れる。しかし、二年三年となれば、まったく確信は持てない。三国条約が締結され、強硬論が喧しくなった今日、私はただただ開戦のないように心から願うばかりだ」
この発言は、しばしば「楽観的な強気」として誤読されます。しかし文脈を精密に読めば、これは逆の意味です。「最初だけは戦える、しかし長期戦になれば必ず負ける」—山本はそう明言することで、近衛に開戦回避を促したのです。
「暴れて見せる」は脅しではなく警告だった
山本の言葉には、軍人としての二重の意図がありました。一つは、政治家に対して「戦争は短期で終わらない」という現実を叩きつけること。もう一つは、もし開戦に踏み切るならば、最初の奇襲で敵の戦意を一気に挫かなければ勝機がないという、作戦論的な布石です。
後に真珠湾攻撃として結実するハワイ奇襲構想は、山本が「開戦するなら、この一手しかない」という逆説的な論理から生まれました。それは勝利への自信ではなく、「負け方を少しでもましにする」ための苦肉の策でもありました。
開戦に反対した男が真珠湾攻撃を立案した論理
1941年(昭和16年)、日米交渉が事実上決裂し、開戦が既定路線となった段階で、山本は腹を決めます。「止められないなら、最善の作戦を立てるしかない」—その結論が、ハワイ真珠湾への奇襲攻撃でした。
山本の作戦論は明快でした。アメリカ太平洋艦隊の主力を開戦劈頭に壊滅させることで、アメリカが反撃態勢を整えるまでの時間を稼ぐ。その間に東南アジアの資源地帯を確保し、講和に持ち込む——これが山本が描いたシナリオです。長期戦になれば必敗と知っていたからこそ、短期決戦・早期講和という「一か八か」に賭けるしかなかったのです。
航空主兵論が生んだ革命的作戦
真珠湾攻撃の最大の特徴は、航空機による艦船攻撃という当時の常識を覆した点にあります。「戦艦は航空機では沈められない」というのが世界の軍事常識でした。しかし山本は早くから航空主兵論を唱え、1940年のイタリア軍によるタラント港奇襲(英艦隊への航空攻撃)にも注目していました。
この発想は、海軍内部でも当初は猛反発を受けました。それを押し切って実現させたのが、山本の組織内での人望と、参謀・大西瀧治郎(おおにし たきじろう)らとの連携です。1941年12月8日(現地時間7日)の攻撃は、戦艦4隻撃沈・4隻大破という戦果を挙げ、世界の海戦史を変えました。しかしアメリカの空母は偶然、真珠湾を離れており、作戦の最重要目標は取り逃がすことになります。
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「半年や一年は暴れて見せる」という言葉が警告であったにもかかわらず、政治家たちはそれを「勝算あり」と都合よく解釈しました。山本の読みは正しく、日本は開戦から三年半で敗戦を迎えます。
山本五十六は1943年(昭和18年)4月、前線視察中にアメリカ軍の待ち伏せ攻撃(「い号作戦」暗号解読による撃墜)により戦死。享年59歳でした。先見の明を持ちながら、それを活かせる場を与えられなかった山本の生涯は、現代の私たちに「情報と決断」の重みを問いかけ続けています。
くまらぼの動画では、この記事では書ききれなかった山本の人間的な側面や、作戦立案の裏側についても詳しく解説しています。ぜひ動画もあわせてご覧ください。
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