2026年5月、米軍がホルムズ海峡でイランのタンカーを攻撃した。遠い中東の話に思えるかもしれない。
だが日本の原油輸入における中東依存度は現在95.9%(2024年度)と、1965年以降で最高水準に達している。
あの細長い海峡が閉じた瞬間、日本のガソリンスタンドから灯りが消える。
日本は現在、UAE約44%・サウジアラビア約40%という形で原油の大半を中東1か所に依存している。
そして80年前、同じ「石油を外国に握られる」構造が太平洋戦争への引き金のひとつになった。
ホルムズ海峡をめぐる今回の緊張は、日本のエネルギー安全保障における歴史的な弱点を、再び鮮明に浮かび上がらせている。
米中央軍の発表によれば、2026年5月8日、空母「ジョージ・H・W・ブッシュ」から発艦したFA-18が、イラン船籍の石油タンカー2隻の煙突を精密誘導弾で攻撃し、航行不能にした。
攻撃時、2隻に石油は積まれていなかったという。 これに先立ち、米中央軍は5月4日、「Operation Project Freedom(プロジェクト・フリーダム)」を開始していた。
ガイドミサイル駆逐艦・航空機・約1万5000名の兵士を投入し、イランの封鎖を突破してホルムズ海峡を通る商業船舶の自由航行を回復させることが目的だ。
5月5日に一時停止が発表されたものの、5月7日から散発的な衝突が再開し、8日夜には小康状態になったと報じられている。
世界の石油輸送量の約2割が通過するとされるこの海峡が機能不全に陥れば、最も打撃を受けるのは日本のような「中東一極依存」の国だ。
「石油を外国に依存し、それを断たれる」という構図は、日本にとって初めてではない。
1941年7月、日本軍が南部フランス領インドシナへ進駐すると、米国は7月26日に対日資産凍結を発表、続く8月1日には石油の全面輸出禁止を通告した。
これが日本側に「ABCD包囲網」と呼ばれた対日経済封鎖の核心部分だ(America・Britain・China・Dutch、4か国の頭文字)。当時、日本の石油輸入の約80%は米国からであり、禁輸は文字通り「命綱を断つ」措置だった。
ただし、歴史家の秦郁彦が指摘するように、「ABCD包囲網が戦争を引き起こした」という単純な因果関係には注意が必要だ。
1941年7月2日の御前会議ですでに日本は「南方進出・対英米戦辞さず」の方針を決めており、石油禁輸はあくまで複雑な意思決定の一要素にすぎない。
それでも、石油という資源を他国に依存していたことが、日本の外交的選択肢を極端に狭めたことは事実だ。禁輸から約4か月後の12月8日、日本は真珠湾を攻撃する。
オランダ領東インド(現インドネシア)の油田地帯を確保するための南方作戦は、開戦の中心的な動機のひとつだった。
翻って現代を見れば、日本は中東依存度95.9%という、開戦前とは別の意味での「一点依存」構造に置かれている。当時は米国1か国への依存だったが、今は中東という地域への依存だ。
そしてその中東の喉元に、ホルムズ海峡という単一の通路がある。 重要なのは、この依存構造が「気づかぬうちに深まった」わけではない点だ。
1960年代以降、日本は経済成長とともに中東への依存を段階的に高め、2024年度には過去最高水準に達した。
代替ルートや代替エネルギーへの投資が十分でないまま、世界情勢だけが不安定さを増している。
80年前、石油を米国に依存していた日本は、禁輸という現実の前で身動きが取れなくなった。
現在、石油の95.9%を中東に依存する日本にとって、ホルムズ海峡の緊張は対岸の火事ではない。
「知らなかった」では済まない構造的な問題がここにある。
歴史を知ることは、同じ轍を踏まないための第一歩だ。
エネルギー安全保障という言葉は教科書の中だけではなく、今まさにホルムズ海峡の波頭の上にある。
出典・参考資料
くまらぼ 
